母の想い 1

私が病気になってからというもの、母は私に対して異常なほど過保護になりました。文字通り、過剰に保護していたということです。

甘やかすとか束縛という意味での過保護ではなく、私を見えないものから守るための保護でした。

母の過保護は、私が病気になったその日から始まります。

実は、私は病気が完治するまで自分が白血病ということを知らずに闘病していました。両親や医者、看護師、誰一人として私に病名を伝えなかったのです。知人程度の知り合いはもちろん、私の親友と呼べる友達にも全く知らせていませんでした。知っていたのは献血やドナーに協力してくださった方、数名のみ。徹底して隠し通したのです。

なぜ私に知らせなかったのか。

病気が発覚した当日、私は何も知らずに突然骨髄穿刺(マルク)を受け、疲れたのか点滴をされたままベッドで熟睡していました。父と母はその間に白血病という宣告を受けたのだと思います。

娘が白血病というになった。

ショックですよね。

わけが分かりませんよね。つい昨日まで楽しそうにバレエを踊っていた娘が突然白血病なんて、信じることすらできなかったと思います。

数日後に期末テスト、一ヶ月後に国際コンクールを控えていた私は2、3日入院したら治ると思っていたので

目が覚めた私は、呑気にテスト勉強をするために理科のファイルを広げて、「いつ帰れるのー?」と先に病室に帰ってきた父に聞きました。

「当分帰れないんじゃないかな。」

そう、父は答えたと思います。

その時は父の言うことの意味があるさっぱりわかりませんでした。

きっとこの時に母は、私には病名を伝えないという選択をし、父にはもちろんのこと、医師や看護師にも徹底するよう頼んだんだと思います。

インフォームド・コンセントやインフォームド・アセントという言葉をご存知ですか?医師が患者に病気のことや治療のことについて説明し、患者が合意した上で治療を進めていくという法律のことをいいます。相手が子供だとしても同じことです。

つまり、結果的に私はインフォームド・コンセントを無視して治療されたということです。きっと医師は中学2年生の子に伝えないというのは、立場上有り得ないこと、考えられないことであったと思います。しかし、私の母は隠し通す決断をしたんですね。

もちろん、私は気にならなかった訳ではありません。たくさん検索もしました。あまり覚えてはいませんが、白血病なんじゃないかと疑った時期もあると思います。ただ、母に聞いても返ってくるのは「血液の病気」「酷い貧血のようなもの」「すぐ治るよ」オンリー。笑

酷いと思われますかね。

私は愛だと受け取りました。

なんで事実を教えてくれないのか。看護師さんも口を滑らせて「抗がん剤入りますね」と言ってたのに、まだ癌じゃないと言い切るのか。と母を憎んだこともあります。

しかし、心のどこかで(癌じゃないのか)(絶対治るのか)と母のいうことを信じて安心している自分がいました。もし、なにか病名があるのだとしても、これだけ母が隠していることを暴いて、事実を知ってなにか意味はあるのだろうか。とにかく治ることだけを考えて入ればいいよね、きっと母も病名を口に出したくないんだよね、治ると信じていたいんだよね。病名を知ったから治るというわけではないし、別にいっか。

そういう考えで、私は調べるのをやめました。

知ったら不安になるかもしれないこと。

知らない方が治ることだけを考えて毎日を過ごせること。

母は私を病名から保護したのです。

そういう母親がいたっていいですよね。実際、私は闘病中お気楽に過ごしていましたから。白血病という病名に飲み込まれることなく、寛解を迎えましたから。

NEXT▷母の想い  2